田舎暮らしを始めたと同時に独立して、1年くらい過ぎた頃の話です。
当初は毎日が楽しくて、関東だけでなく西は大阪、福岡まで、かなり活動的に飛び回っている時期でした。
30歳くらいのときかな、若いね。苦笑
当時はまだSNSは流行ってませんでしたから、
主にブログでビジネス仲間とコミュニケーションをとっていたんですが、その時に、当時快進撃中のベンチャー社長さんと知り合いました。
会食をすることになったんですが、そこで聞いた衝撃的な一言。
「社会貢献というのは金持ちがやることだよ。
一般人が頑張って1000円寄付しても、金持ちは軽く1000万寄付できるんだからさ。」
おっと、これはビックリ仰天!
なんて返しましょ!?
社会貢献を否定されるとは思わなかった
僕はまだ独立したばかりで、いわゆる「燃えて」いた時期でした。
独立前に想定していた以上に、僕の仕事へのリピーターが多く、少しずつ仕事が増えている時期でしたから、そりゃ燃えます。
でも、僕は今までさんざん苦労してきました。
と同時に親にも周りにも多大なる迷惑をかけてきたと思いますし、自分がうまくいっている時は、周りに「お返し」しなければならないと思いました。
さらに世の中では、いわゆるCSRという言葉が出てきた当時でしょうか。
ITを使って社会貢献ができるような活動もしたいと思いました。
敢えて本業とは別に無償で、です。
そんな時に、その社長さんから「社会貢献」を否定されて、なんて返せばよいかわからず、ただ、「はぁ・・・。」と相槌を打つだけでした。
てっきり「それは素晴らしいね」と言ってくれると思ったんですよね。
一流のビジネスパーソンはそんなに甘くないです。
独立1年生で何が社会貢献か?
今思えば、その社長さんが言うのもわかります。
その社長さんは僕に1000万円の投資をしてくれるつもりだったのです。
「まずは、ちゃんとビジネスをやってくれよ」と思ったのでしょう。
さらに、社名とか会社の方針とかもその社長さんが決めてたらしく、こういう会社を作ってくれれば1000万円投資すると言われました。
もちろん、今の僕の1年目の会社は、たたんでほしいとのこと。
さすが快進撃ベンチャー社長さん、トップダウンだなあと。苦笑
投資話は嬉しかったですけど、これはちょっと「飲めない」なあと・・・。
でも僕は何よりも、社会貢献は金持ちのやることだと、一笑に付されたことが今でもずっと心に残っていたのです。
世の中の多くの人はそういう発想なのだろうかと、世の中に対して疑心暗鬼になってしまったのです。
そして、僕みたいなちっぽけな人間が「社会貢献」などと口にするのが、なんとなく恥ずかしくなってしまったのです。
社会貢献の形は色々ある
でもたしかに社会貢献といっても、具体的に何をするかは難しい問題です。
上述のブログ使って広げたビジネス仲間と一緒に考えることもありましたが、そうそうすぐに何か見つかるものでもありません。
そもそも社会貢献というものは個々人でその考え方が全然違います。
それは社会貢献じゃないよ!という意見もあれば、そんなことしてたら、食べていけないよ!とか、まあ、なかなか意志は一致しませんでした。
なので、まずは個人で寄付から始めようと思いました。
僕は医学部を目指したことがあったので、まずは医療系の慈善団体に寄付を。
そして、理由はまたいつか後述しますが子供系の慈善団体に寄付。
「少ないですが、せめて僕の今までの失敗だらけの人生を許してください!」的な思いですね…。
おい、まずは、両親にお返ししろよっ言われそうですけどね。苦笑
社会貢献、寄付は、なぜ偽善なのか?
ところで、ネットとかでは「寄付は偽善」などとよく見かけますよね。
実際、寄付に対して若い人の2割くらいの人が偽善だと思ってるようです。
先ほどの社長さんは一般的なマナーのある人だったので、そんなこと面と向かって言いませんが、それを言われたら、さすがに僕もその場をさっさと後にしたと思います。
人の善意を自分の勝手な思いだけで踏みにじる人間は軽蔑に値します。
ところで、なぜ寄付は偽善と言われるかというと、まず一つは芸能人などの有名人が寄付をしたということを公表するのを見てそう思うのでしょう。
それを見て、ただの売名行為でしょ?って思うのでしょう。
どうして、人の心がわかるのでしょうかね?
こういうのを「ゲスの勘繰り」といいます。
一部の寄付金は税金の控除対象になる
そして、もう一つは、一部の寄付は税金の控除対象になること。
結局、困ってる人の為に寄付したと言いながら、税金で得するのは自分のためじゃん!と思うのでしょう。
ま、これもゲスの勘繰りなんですが。
ちなみに僕は寄付金控除はしてません。
確定申告しなければならないし、はげしく面倒だからです。
じゃ、面倒じゃなかったら申告するかと言われたら、まあ「する」でしょうね。
でも、控除があるから寄付するわけじゃないです。
そもそも、控除できるといっても微々たるものですから。
それに、してはダメなら何のために寄付控除という制度があるか?って話です。
そもそも好ましくないのであれば国が制度を廃止するでしょう。
これは国が控除分を代わりに寄付しているのと同じことですからね。
ある意味、税金の使い道をコントロールできます。
おかしなことに税金を使われるよりマシという考え方もありますね。
寄付には団体維持のための経費も含まれますよ
ところで、僕が心配するのは、「寄付は偽善」だというフレーズが蔓延することです。
つい最近ツイッターを見ていたら、
「某世界的慈善団体の幹部は、
『放っておいても寄付金がじゃんじゃん入って来るからさー』
と言いつつ寄付金でファーストクラス乗り放題だそうです。
だから寄付はしない。」
と、どこかで聞いたような話をツイートしてましたけど、こういうツイートはどうかと思います。
まず、これが事実かどうかわからないし、こんな話が蔓延すると、どこの慈善団体も同様だと思われてしまいます。
それに、慈善団体って市民ボランティアみたいな人がやってるわけじゃないですよ。
会社の社員のように給料をもらって働いているんです。
つまり、僕らが寄付するお金の何割かは、団体の職員の給料になっているんです。
そりゃそうです、そうじゃなきゃ団体を維持できません。
そういうことを知らずに上のようなツイートしている人もいるってことです。
怖くて寄付できない団体はいくらでもいる
逆に言えば、ちゃんと組織ができていて寄付金が管理されており、きちんと行動できるところだから安心して寄付できるんです。
そうでないところは、怖くて寄付できません。
なので、寄付しようと思う人は、どういう団体に寄付するか、
事前に、しっかりと考える必要があります。
実際、名の知られてない怪しい団体に寄付したら、おかしな新興宗教だったり詐欺集団だったりするのは、非常によくある話です。
少額が集まって大金になるから寄付はすごい
もちろん、寄付は強制ではないし、
自分の生活さえもままらないのに寄付なんてするものじゃありません。
それでも慈善の心のある人は、コンビニとかで1円2円寄付するんでしょうけどね。
素晴らしいと思います。
でも、寄付ってこの少額が集まって大金になるところがすごいところです。
一人一人の「1円~」が大事なのです。
これくらいなら大丈夫だろって金額ってありますよね。
例えば、毎月給料の1%ならどうでしょうか?
または給料の0.5%でも良いかもしれません。
パーセンテージを決めておくと寄付しやすいですよ。
僕が具体的にどこにいくら寄付してるかは(回し者と思われるのが嫌なので)書きませんけどね。
でも、毎月自動的にカードから引落なので手間はありません。
戦えるやつは戦え!(できる人がやればいいだけの話)
実はこういうことを「善意の押し付け」と取る人もいるんですよ。
読めばわかるけど誰も押し付けてないし、それでもそう思うなら読まなければいいじゃんって思います。
お金の余裕がない人は寄付とかする必要はまったくないのです。
でも、こいう文章自体が善意の人にもプレッシャーになることはわかります。
僕が20代で貧乏だったころはそうでした。
なんだか何もできないのが申し訳なってくるのです。
でも、それは仕方ない事。
それが慈善活動というもの。
戦えるやつが戦えばいいんです。
・・・ま、戦いじゃないけどね。
比喩ですよ。
(ってことも書いておかないと突っ込まれる世の中だからね。)
良くしようという方向性だけは持ち続ける
でも、僕は少しだけ戦いだと思ってます。
こんな理不尽な世の中です。
戦う気持ちが無いと、勇む気持ちが無いと、一部の心無い人の発言で自分の心が折れます。
まっとうな考えの人が、「あれ?自分は間違ってたのだろうか?」と疑ってしまうような事が度々起こります。
とはいえ、「善」の価値観は人によって違います。
だんだんと世の中は良くなってきているように思うんですが、驚くことに人によっては「世の中はどんどん悪くなっている」という人もいます。
でも、だったら、わかりやすい「善」から始めればいいんです。
例えば、国の勝手な都合で戦争して、貧しくて食べることのできない子供とか、医療を受けられない人を支援するのなら、ほぼ誰が見ても善だと言えます。
(「いや、それは違う。」という人がいることもわかってますよ。)
そして「寄付」以外もそうなんですが、普段から周囲を少しづつ良くしていこう、という気持ちを持つことが大事だと思っています。
やっぱ戦える人は戦ってほしい
でも道端で「人に注意する」とかそういうことはしてはダメです、今の時代、殺されちゃいかねませんから。
皮肉なもので、某国は政治的発言をすると命が危ういとされてますが、日本では身近な場面での些細な発言によるイザコザでの命の危険の方が多いのです。
でも「人に注意する」ことができる強い人ならやってほしいですね。
あきらかに悪いことしてる人が目の前にいたら、
注意してほしいですね。
もちろん、ケンカしろって意味じゃないですよ。
そして、その「明らかに悪いこと」が、人によってけっこう差があるのもわかってます。
ここで一つ言えるのは、価値観が人によってかなり違うってことが問題ってことですね。
なので、慈善活動ってある意味で、この最低限の価値観のラインを合わせていく活動とも言えますね。
確かに簡単な道ではありませんが、僕は少しづつ良くなっているように思います。
何事も希望を捨てたら終わりですから、良くなってると思いたいという気持ちもあります。
と、そういう思いを持って、田舎暮らしをしていたわけです。
もちろん今でも、そういう思いは持ち続けているんですけどね。
でもその時は、ビジネスの場だけでなく、地域でも色々と活動しようと思っていました。
商工会に入ったり地域活動をする仲間とも知り合いました。
というわけで、田舎の活動の話はまた次回です。