改革を妨げる「新自由主義」のレッテル張り

つまんない記事だけど、タイトルだけでも気に留めてほしいなあと思うんだよね。

新自由主義の否定は、岸田さんの新しい資本主義ではないです。

そこ注意です。

 

世界の先進国の中でも日本は「新自由主義」や「グローバリズム」に対する拒否反応がことのほか強い国だ。

この政治・経済的な概念は「規制改革」「競争」「市場主義」……といった政策と密接に関連しているが、日本では往々にしてこれを「人々を吹きさらしの荒野に立たせる」「弱肉強食の強いもの勝ちの政策」と単純化し、改革や競争を拒む理由づけにされてきた。

岸田文雄政権が掲げる「新しい資本主義」は、あるべき新しい資本主義像を追求していくという意味では間違いではない。しかしそれがまたまた改革や競争を怠る理由づけに使われることを危惧する。

とくにスピ界、いや陰謀論界隈では極悪人の竹中平蔵氏とか。笑

新自由主義の権化みたいな、格差社会を生んだ張本人みたいな感じで言われてますけど。

まあ、僕もそう思いますけども。笑

 

でも、それは極端な例ですよ。

人間は誰しもが基本的には「自由」でないと争いが生まれるだけです。

新自由主義がダメだから、自由を制約する方向に動くってのは、明らかに時代逆行。

いや、制約していいんだけど、明らかにおかしな方向に制約しようとしているってことです。

 

そして、こういうレッテル張りってのはいつもいつもいつも極端だってことを知らないといけないです。

つーか、人間って極端が好きなんです。

極端な方が分かりやすいですし、仕方ないですけどねー。

 

だからこそ現代の自由さを「新自由主義」の賜物って言っちゃうと、極端な話にならざるを得ないんですよね。

別の言い方を考えないといけない。

そう、言い方なんです。笑

 

新しい言い方、なにかないか?

僕なんかは昔から自由を求めて生きてきましたので、じゃあ「リバタリアン」ですかね?

たしかに10年以上前は「オレは自称リバタリアン」ってことにしようかなって思ってた時期あったけど、いまやレッテル張りのおかげで極端すぎる呼称になっちゃったんでボツ。

 

やっぱ「自由」という単語だけでいいですね。

シンプル過ぎてレッテル張りようがないでしょ?

 

と思ったら正義というシンプルな言葉さえも、今やマスコミや心理学者によって悪の隠れ蓑みたいな単語になっちゃいましたけども……。

これってつまり、戦争さえも正義になる世の中になったよ、正義なんて言わせないよってことです。

いやあ、見事に図ったように正義の否定が始まりましたねー。

 

ま、とにかく僕は自由がいいんですよ。

 

そして究極の自由を目指すべきですよ人間は、世界は。

そこが究極の目標です。

 

自由に責任が伴うのは当然の事として、あと強いて言えば自立ですね。

自立しないと自由になれません。

ロシアの天然ガスをみればわかるでしょ?笑

個人も国も、自立して自由になることが第一歩。

 

しかし今、自由を制約しようという方向に世界は動いている。

コロナから変わりましたね、新しい生活様式、新しい資本主義、グレートリセット。

 

あぁ、世の中は一見して悪い方向に進んでるようで、実はよくなっていると思っていたのに。

今の世界をバキバキに破壊しなくても良い世の中に徐々に生まれ変わると思ってたのに。

世界が粉々になって原始時代にもどらないと良くならないなんて、ちょっと嫌。苦笑

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